『九十歳。何がめでたい』
90歳のばあさんの書く文章の何が面白いのか!
説教くさかったり、回顧主義だったり、小難しい言葉が連ねてあるけれど結局何が言いたいのかチンプンカンプンなんじゃないの?
そんな色眼鏡で見ながら読み始めた本でした。
読み始めてすぐ目にとまったのは、文字の大きさです。
エッセイや詩集というものは、余白を大きく取っているものも多いですが、この作品は余白が大きいのではなく、字そのものが大きい!!
きっと読者層を年配の方に想定しているのでしょう。
私も最近目の衰えを感じるので、
「何だこれ!字大きいな!」
と思いつつ読み始め、その読みやすいことといったら…。
私ももう若者の部類には入らないのね…と思い知らされたような気がしました(;´Д`)
このエッセイを一言で表すとすれば「愚痴」です。
他人の愚痴なんか聞いたって、心が荒むだけで面白くないんじゃないかと思ったのですが、
なぜか面白い。
リアルにこの国の行く末を案じるようなテーマのものもあるが、殆どのものは随所にくすりと笑える表現が散りばめられていて、本当に1文1文が楽しいのです。
どのエッセイも何だか怒っているようなのに、テンポがいいからなのか小気味よく、「もっと本音を言ってやって!」と旗をふり応援したくなります。
きっと身近にいたら、一見殊勝に見えるけど、腹の中では何を考えているのかわからない、正直、あまり関わり合いになりたくないタイプのおばあさんかもしれません。
しかし言っていることはとても論理的でつじつまが合っていて正論です。
多くの記事の元になっている時事ネタは、高齢の方には理解の範疇を超えているのではないかと思われます。
それでも、果敢にそれらに挑み物申している様は、人生の先輩に言うのも何ですが、あっぱれという他ありません。
今はともかく、私は10年後、20年後、またそれ以降も新しいものに対するアンテナを常に張り続けているという自信がありません(;´Д`)
でもそうやって「わからない」ことが原因で、自分で勝手に除け者になったように感じていては「老人性うつ病」になってしまうかもしれません。
この本では元気いっぱい愚痴いっぱいの佐藤さんも、この『女性自身』での連載依頼が来る直前、老人性うつになりかけていたといいます。
私は子どもの頃、将来は陽だまりのように温かく優しい、誰からも愛されるおばあちゃんになりたいと思っていました。
そしてこの本を読んだ今思うのは、たまには愚痴も言える、パワーのみなぎるばあさんになりたいということ。
少しくらい面倒がられてもいいのだ!(≧▽≦)