『永い言い訳』を読み、自分と対話する。
「これは再生のものがたり」
そう聞くと月並みだという印象をもち、そのものがたりを「読んでみたい」とは思えない。
そこにはきっと、何か悲しい出来事が起き、それによって人生が変わってしまった人の苦しみ、悲しみ、怒り、そしてほんの少しの喜びなどあらゆる感情がないまぜになって描かれているのだと想像できるから。
そして、きっとそのあらゆるものを克服するのだろうということは、想像に難くないからだ。
このものがたりは果たしてその通りだったといっていい。
けれど、心に染み入る言葉や台詞に心揺さぶられ、自分も登場人物たちと同じ世界を生きているように、どっぷりとはまった。
自分の思いに真っすぐな陽一。灯。
自分の感情のありかがわからない。ひねくれているともとれるし、そんな自分を客観的に見ることができる故にそんな自分を嫌悪し悩み、苦しむ幸夫。真平。
人は他人の不幸という話(ストーリー)を欲しているというのは正しいと思う。
あの不幸さに比べると自分はましと思うことで、世の中のあらゆることに溜飲を下げている人はきっと多いのだ。
私もそうだ。
でも、小説はハッピーエンドであってほしい。
主人公には幸せになってほしい。
小説の主人公は、それに重ね合わせた自分だから。
切ないものがたりだけれど、そこには幾つもの小さな幸せもちりばめてあって不幸ばかりではなかった。様々な視点から語られるものがたりは、映画を観ているようだった。
人生を再生させるには、一つ一つの生活を丁寧に積み重ねていくしかないのだと思う。
読み始めは寒々しさを感じたが、読了後にはじんわりとした温もりを感じた。
私は考えすぎるきらいがあるけれど、そんなとき、この本から感じとった温かみを思い出したい。
この本に出会えた私は間違いなく幸せです(*’ω’*)