三浦しをんのエッセイから考える読書
こんにちは。
本好きのオフィスけろです。
私は残念ながら読書家…とは言えません。
「古典や名作は大体読んだよ。」とも、「ベストセラーなら大体網羅している。」ともいえないし、足の踏み場もない程部屋が本に埋め尽くされているというわけでもないからです。
でも、そんな私でも本好きで活字好きと言っていいんだ!と思わせてくれた作家さんが三浦しをんです。
ここ最近読んだ著書は
『悶絶スパイラル』
『三四郎はそれから門をでた』
『お友だちからお願いします』
の3冊です。
これらは、「本を読みたいけど脳が疲れていて、本当に自分が好きと思えるものしか読みたくない…。」
そんな状態の時、一気に読んだエッセイたちです。
何が「癒し」になるかというのは千差万別だと思いますが、私の場合は間違いなく彼女のエッセイが癒しの1つになりました。
最近マイナス思考になりがちな私のガラスのように繊細なハートも、このエッセイを読めばたちどころにプラス思考になります!!
…というのは言い過ぎかもしれませんが、
世の幸せなカップルと実の母親を憎み、自分の趣味の道を突き進み、自堕落な(失礼m(__)m)生活をさらけ出しながらも、人との温かな交流や素晴らしい景色や行動を目にしたときに素直に感動するところ。
オタク的文章と文学的文章が絶妙なさじ加減で共存しているところ。
全てが私のツボにはまるのです。
■読む本が偏っていたっていいじゃないか
彼女は私から見ると本好き、いや本変質者(敬愛を込めて)と呼べるのではないかとすら思うのですが、それでも「自分の趣味が読書だとは、恐れ多くて言えない。」という趣旨のことを、エッセイで綴っています。
そしてそれを読む本の志向がかなり偏っているからだといいます。
「趣味が読書」と聞いて大方の人がパッと思い浮かぶのは
「読書=小説を読む」
なのではないでしょうか。
「読書が好き。」と言われたら、恐らく「どんな本読むの?」
と返すのが普通だと思います。
でもこの質問は、「できればしないでくれ!」と私が常々願っている質問です。
なので、本棚を見られるのが恥ずかしいという思いにもとても共感を持ちました。
日記を見られるよりも(これまで3日以上続けて日記が書けたことはないのですが…)、今までに読んだ本全てをさらけ出される方がきっと恥ずかしいと思います。
だって日記はそこに書かれてあることが全てなのに、本を見るとその人の趣味嗜好が透けて見えてしまうこと必須だからです。(彼女もそう言っています。)
■三浦しをんの筆力に憧れる
こんな風に三浦氏の言葉選びがかなり好きで、彼女の送ってきた生活と感じ方全てが私の興味を引いてやみません。
なのに、エッセイ以外の彼女の作品は、
まほろ駅シリーズのうち、『まほろ駅前多田便利軒』、『まほろ駅前番外地』の2作品しか読んでいないのです…。
本屋大賞を受賞した『舟を編む』をはじめ、幾冊かの代表作がある人気作家さんのひとりなのに。
こんなに彼女を褒めたたえる記事を綴ってきたのに…恐縮です(;´Д`)
先にエッセイを読んでしまった人にとっては、かなりオタク度の高い作家さんというイメージが強いかもしれませんが、そんな面白さがぎゅうぎゅうと詰まったエッセイの中にも隠し切れない言葉選びの妙は、読み始めると吸い込まれてしまいそうなほどです。
「ふざけてるのか?」と問いただしたくなるような生活態度を時々見せつつも、吸い込まれそうな美しい文章も書く(それでいて、技巧にはしり酔っていることは決してないだろうと思わせる)素敵な作家さんです。
■結局、読書は楽しい
雑誌などに限らず、本は水ものだと思います。
他人の評価は気にせず、その時々自分が読みたいと思うものを読み、自分が満足できればそれでいいじゃないかと悟ることができた、三浦しをんのエッセイでした(・´з`・)