phaさんによる、田舎暮らしについてのブログ記事を読んで思うこと。
▶phaさんのブログに魅かれて
「pha(ファ)」さんのブログ、「pha」の日記が好きで、読者になっています。
以前このブログで、著書の『ニートの歩き方』を紹介して以来のファンです。
彼は、ひと昔前に「アウトロー」な生き方がちょっとカッコイイというような時代もありましたが、そういう積極的に世の中のフツーから外れた、ちょっと存在感のある人ではありません。
ほんの少し社会のフツーのレールから外れ、ひっそりと存在しているという、新しい生き方を選択した人です。
ネット社会で自分の考えを知ってもらおう、存在感をアピールしようと思うなら、余程の有名人でない限り、まずは目立つことが大切です。
その為にはあちこちのスレッドに参加したり、よりセンセーショナルな言葉を使って読者の気を引き寄せたりする必要があります。
そのような自己主張の強いブログは、必然的に言葉遣いも少々乱暴になったり、威圧的になったり、断定的だったりします。
そうなると、例え分かりやすいたとえ話などによって解説されていたとしても、自分が欲しい情報さえ得られたらすぐにブログから離脱してしまうでしょう。
それに比べるとphaさんのブログは圧倒的にゆる~い感じで書かれています。
ゆるいといってもネジが外れた感じではなくて、そこだけ時間の進み方がゆっくりとした不思議な感じなのです。
「ゆるさの中にも時折感じられる鋭さがいい」と、勿体ぶって解説してもいいのですが、それもちょっと違うような気がします。
あまり頻繁ではない更新があると、「あっ!更新されてる!」と、phaさんが元気に生活しているということ自体への喜びがあります。
ブログのファンというより、生活見守り隊といった感があります。
そういう私も「立派な生活」を送っているとは言い難いのですが(・´з`・)
phaさんの考えに共感しているというのともちょっと違います。
ただ、自分とは違う考えもあるのだなと割と素直に受け止められる不思議な存在感があるのです。
そんなphaさんの記事のなかに、紹介したいものは山ほどありますが、今回紹介したいものはこれ、phaさんが一週間ほど和歌山県の山奥の熊野のあたりに滞在された時の体験記です。
田舎出身の私からすると、一週間やそこらの滞在で(定住ではない)、田舎の生活の本質はわからないだろう…と斜めに見てしまったりする面もあります。
でも私自身も、田舎出身だといっても、そこで自らが生業を営んでいるわけではないので、本質をわかっているとは言い難く、住んでいた期間は長かったけれども「滞在だった」と言えるかもしれません。
でも私はこの記事に意見したいわけではありません。
Phaさんの田舎暮らしの捉え方が斬新で、まさに目からうろこといった感じでした。
その部分を引用させてもらいます。
何より、田舎はイベントの発生の仕方がスカイリムみたいなオープンワールド系のRPG(広大な世界を自由に動き回って探索・冒険できるゲーム)にすごく似てるなって思った。そのへんの人と喋ってると「向こうのほうに使われていない廃校があるよ」とか「今度鹿を狩るんだが興味ないか」とか「炭焼きをできる施設があるぞ」とかそういう情報が得られて、そうすると頭の中でスカイリムみたいに『マップに新しい場所(西の廃校)が追加されました』とか『クエスト:鹿狩りが開始しました』みたいなフラグが立つのだ。
「田舎暮らしなんて楽しいことばかりじゃないぞ!」と頭の片隅で思いながら、「田舎暮らし楽しそうだな」とワクワクしてくる一文なのです。
私はクローズドのパッケージソフト内でのRPGしかプレイしたことはありませんが、新しい土地を開拓し、新しいアイテムをゲットし、次の攻略に役立てることの楽しさはわかります。
ただ、それをリアルな世界と結び付けたことはなかったし、そういったゲームをわくわくしながらプレイしていた子ども時代には、自分が現実にそういった世界の中にいるのだということには気づきませんでした。
あくまで空想の出来事で、自分には手に届かないものだと思ったからこそ憧れたのです。
まさに、そこにある一つの事象でも、見方によって大きく変わるのだということを思い知らされました。
それほど「田舎ぐらし=オープンワールドRPG」という捉え方は衝撃的でした。
誰かの意見を「でもね。」と、否定することは簡単ですし、安易にしてしまいがちです。
でもね。
それを受け入れてみると、違った世界が見えて面白いなと思えることに気がつきました(*´ω`*)