異類婚姻譚
「当たり前」とは何か。
最近そう考えることが多い。
齢をとった証拠か、今まで「常識」とされていた範疇に収まらない事件やニュースを耳にすることが多くなった時代のせいなのかわからないけれど。
幸せなミライを夢見ていたのに少しずつズレていく。
毎日の何気ない選択と決断でミライは大きく変わる。
人の形をしていると思っている私は、傍からみても果たして人の形をしているのか。
ぐにゃりと歪んでいるのではないか。
自分が正しいと信じている行動は、本当に自分が心から望んでいるものなのか。
時に我慢は必要だけど、気持ちを抑え込みすぎて自分を見失ってやしないか。
離婚率は年々増加しているのに、「夫婦とはこうあるべきだ」という幻想が未だにはびこっている。
他人と生活を共にする結婚生活は、家族・親戚付き合い等を抜きにして、純粋に2人だけの問題として考えても、困難な道だ。
「私達に限って。」という考えは捨てたほうが賢明だ。
『藁の夫』にしてもそう。
設定はあまりに突飛なのだが、そういうものとしてストーリーは進んでいく。
結末は想像もつかないものだったけれど、そこに至る過程や心の動きはきっと、誰でも少なからず経験するものだと思う。
他人と他人が一つ屋根で暮らしていく以上、何の波風も立たないだろうと期待するのは楽観的すぎる。
2人の関係のほころびは、思いがけないところから始まる。
それは加速度的に増し、気がつくと修復不可能なものになっている。
…と断定したいところだが、どこかで折り合いをつけて長年寄り添っている夫婦もいる。
夫婦が、パートナーがどんな道を選んでいくかは自分たち次第だ。
・必要事項だけ話をする。
・とことん話し合う。
・面倒な揉め事は避けたいから、どちらかが不満を飲みこむ。
・面倒な揉め事は避けたいから、2人とも不満を飲みこむ。
・互いのすることや考え方に一切干渉をしない。
本当にそれぞれで、勿論正解はない。
私には正解がないことが分からなかった。
あるときはいつも不満を抱えていたし、不満を口にすることはなかった。
またあるときは、不満をすぐ口や態度に出し、とにかく白黒つけたがった。
そしてどちらもうまくいかなかった。
でも失敗したからそれが悪かったのだと分かったのであって、次にどうするべきかといえば、やっぱり正解はないと思う。
自分のこともよくわからないのに、他人とうまくやっていくのは難しいに決まっている。
人と人との関係は千差万別だ。
苦しいこともあるけれど、それでも1人きりで生きていくよりは、誰かと関わり合って生きていくことを選んでみようと思う。
私の場合。
今日もテレビでそっくりな夫婦を見てハッとした。
微笑ましく思うか、ぞわぞわとしたものを感じるか、まずはこの本を読んでみてほしい。